3分で分かるクレーの生涯

パウル・クレーは1879年、スイスのミュンヒェンブーフゼーという町に生まれました。ドイツ人のお父さんは音楽の先生でオルガン奏者、スイス人のお母さんは声楽家でした。クレーも音楽が大好きで7歳のときにはヴァイオリンを習い始め、23歳のときにはベルリン市管弦楽団の団員となりヴァイオリンを弾いていました。

美術学校に入学後の21才の時に旅したイタリアのミラノ、ローマ、ナポリ、フィレンツェではレオナルド・ダ・ヴィンチやボッティチェリに強く心を打たれました。28歳の頃にはゴッホの展覧会に深い感銘を受け、その翌年にはセザンヌの絵に出会い、以後、セザンヌを師と仰ぐようになります。34才の時にチュニジアの風景を目にしたときのことを「色が私を永遠に捉え、色と私が一つになった」とクレーは言っています。このようにして不思議なクレーの世界が作られていきました。

黄色い鳥のいる風景

クレーがピアニストのリリーと結婚したのは26歳のときでした。ふたりはドイツのミュンヘンに住むことにしました。音楽好きのクレーとリリーはお客を家に招きピアノやヴァイオリンを弾いて楽しみました。翌年には息子のフェリックスが生まれました。クレーとリリーはフェリックスを連れてコンサートを聴きに行ったり、芝居やサーカスを見によく出かけました。

クレーは料理をするのも好きだったので、美味しい料理や珍しい料理を作り、リリーを喜ばせました。もう一つ、クレーが大好きだったものがあります。それは猫です。クレーは一生を通して、沢山の猫たちと一緒に暮らしました。

幻想喜歌劇『船乗り』からの格闘の場面

1914年、クレーが34歳のときに起きた第一次世界大戦が3人の幸せな生活に襲いかかります。
2年後には家族と離れ、ドイツ兵として戦うことになります。一緒にチュニジアに旅行した友達の一人もこの戦争で亡くなっています。

1918年、ドイツの敗戦によって戦争が終わるとクレーはミュンヘンにあるお城に大きなアトリエを借りて次々に作品を生み出しました。これらの作品を集めて開かれた展覧会は大成功をおさめ、クレーの評判は世界中で高まりました。41歳のときにはドイツの美術学校の教授に招かれました。クレーは同じくこの学校で教えていた抽象画の創始者カンディンスキーと親しくなり、隣同士の家に住んでいたこともあります。48年に念願だったエジプト旅行に行くと、クレーの絵にさらに魔法のような魅力が加わりました。

けれどもこの頃、クレーの教えていた美術学校のあるドイツはフランスやイギリス、アメリカとも対立して日に日に戦争に向かって進んでいきます。とうとうクレーはドイツを去り、生まれ故郷のスイスのベルンに戻ることにしました。

スイスには平和がありました。クレーは絵の制作に情熱を傾けました。しかし、55歳のとき、皮膚が固くなる病気に罹ってしまいます。60歳で亡くなるまで、この病気は治ることはありませんでした。それでもクレーの絵を描く情熱は衰えることはありませんでした。クレーが一生に描いた約9000点の作品のうち1500点は病気と闘っているときに描かれたのです。特に晩年に描かれた数十点の天使の絵は有名です。

泣いている天使
クレー

おはなし名画の「クレー」ではクレーの生涯と42点の作品を大きくて綺麗な印刷で楽しめます。色に捉えられ、色と一つになったクレーが天使の絵に辿り着くまでの人生を本書で是非、堪能してください。

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