セザンヌは絵が下手だった?(山田五郎先生のオトナノ教養講座)

第一回と第三回の印象派展に作品を出すも笑われてしまい、その後20年以上、生まれ故郷のエクスで風景を繰り返し描いていたセザンヌ。彼の作品がようやく認められたのは56才の時でした。「なぜ認められるのに時間がかかったのか?」「セザンヌの何が良かったのか?」について山田五郎先生が解説してくださっています。

動画は「セザンヌの『キューピット像のある静物画』の右上のリンゴが何故落ちてこないのか?」というアシスタントの女性の疑問から始まります。確かに不思議です。無重力状態にいるかのような錯覚をしてしまいます。

「何故だと思う?」という山田五郎先生の質問にアシスタントの女性は「下手だから?」といきなりド直球の正解をしてしまいます。山田五郎先生は「これは絵だからだ」という表現も使っています。

写真の発明により、現実をそのまま描くことに価値が亡くなった19世紀の画家達は「自分たちにしか描けないものは何か」という問いの答えを必死に追求しました。セザンヌが辿り着いた「絵と現実は違っていて良い」「絵は絵として成立していれば良い」「絵の本質は形と構図と色彩だ」という答えは当時の若い画家達に大きな影響を与え、セザンヌは今では20世紀美術の父と呼ばれています。

この動画の肝は「セザンヌが絵を現実の通りに描かなかった」のは「絵が下手なので現実通りに描けなかったからだ」というのが山田五郎先生の指摘です。これによりセザンヌの作品の理解は一気に進みます。

セザンヌはパリの絵塾を通じて印象派画家と仲良くなり、印象派展にも出展しています。ただし、仲間の中でただ一人、国の展覧会のサロンに1度も入賞出来なかったことからも分かる通り、ずぬけて絵が下手でした(出品した作品はこちら)。印象派展への出展も第三回で止めています。

それでもセザンヌは絵を描き続けました。お父さんが銀行家で経済的に恵まれていたことも幸いでした。そしてある時閃きました。
「対象を上手く描けないのなら、対象を自分が描けるように変えてしまえば良いじゃないか!」
こうして、セザンヌは対象を単純な形に置き換えて画面の中で再構成していくという手法を見い出したのです。

遠近法も放棄します。遠近法は鑑賞者が動かないまま片目で見た時の視点ですので、遠近法を使わないことで一つの絵の中に多視点からの描写を持ち込まれました。この手法は後のピカソらのキュビズムにつながっていきます。こうして独自の道を切り開いたセザンヌは56才のときパリで初めて開いた個展で若い画家達から猛烈な支持を得ます。時代がセザンヌに追いついたのです。

出来ないことは思い切って諦めること、自分なりの追求を続けること、そうすれば時代に愛されることもあるということ。学びの多いセザンヌの生涯です。絵の天才ピカソが影響を受けた画家がセザンヌやヘタウマのアンリ・ルソーであったことも興味深いですね。山田五郎先生はこう言っています。
「天才は天然に勝てない」

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