セザンヌは絵が下手だった?それでも“近代絵画の父”と呼ばれる理由

セザンヌの絵を見ていると、「少し変だな」と感じることがあります。たとえば静物画のリンゴは今にも落ちそうなのに落ちず、机や器の形もどこか不安定です。実はこの違和感こそが、後のピカソやキュビズムにもつながる大きな革新でした。
この記事では、山田五郎先生の解説を手がかりに、セザンヌがなぜ長く理解されなかったのか、そしてなぜ今では「近代絵画の父」と呼ばれるのかを、わかりやすく紹介します。

なぜ当時の人に理解されなかったのか

第一回と第三回の印象派展に作品を出しながらも評価されず、長いあいだ故郷のエクスで風景を描き続けていたセザンヌ。彼の作品が広く認められたのは、56歳で個展を開いた頃でした

セザンヌが評価されるのに時間がかかった理由についての山田五郎先生の解説はとても印象的です。「セザンヌが絵を現実の通りに描かなかった」のは「絵が下手なので現実通りに描けなかったからだ」と指摘しています。

動画は「セザンヌの『キューピット像のある静物画』の右上のリンゴが何故落ちてこないのか?」というアシスタントの女性の疑問から始まります。確かに不思議です。無重力状態にいるかのような錯覚をしてしまいます。

セザンヌが活躍した19世紀の西洋絵画では、対象を正確に、自然に描くことが高く評価されていました。
とくに国の展覧会であるサロンでは、遠近法やデッサンの正確さが重要視されていたのです。

その基準で見ると、セザンヌの絵は明らかに異質でした。形はわずかにゆがみ、机は傾き、視点も一定ではありません。そのため当時の人々には、「未完成」「不器用」「下手な絵」と受け取られてしまいました。実際、セザンヌは印象派の仲間と交流しながらも、サロンで評価されることはほとんどありませんでした。

評価されなくても描き続けた理由

セザンヌは、評価されないからといって描くことをやめませんでした。印象派展への参加も途中で途絶えますが、その後も故郷で制作を続けます。
彼にとって重要だったのは、周囲の評価よりも「どう描くべきか」という自分自身の問いでした。

そしてこの探求の中で、セザンヌは次のような考え方にたどり着きます。
「対象を上手く描けないのなら、対象を自分が描けるように変えてしまえば良いじゃないか!」

こうして、セザンヌは対象を単純な形に置き換えて画面の中で再構成していくという手法を見い出します。見えているものをそのまま写し取ることをやめ、代わりに、対象を単純な形としてとらえ直し、画面の中で再構成していきます。りんごは球体として、山は円柱や円錐のような形として捉え、それらを組み合わせて一枚の画面をつくる。
セザンヌにとって大切だったのは、「本物らしく見えるか」ではなく、「絵として成立しているか」だったのです。

遠近法も放棄します。遠近法は鑑賞者が動かないまま片目で見た時の視点です。代わりにセザンヌは一つの絵の中に多視点からの描写を取り込みました。この手法は後のピカソらのキュビズムにつながっていきます。

なぜ後の画家たちはセザンヌを評価したのか

セザンヌが本格的に評価されるようになったのは、晩年になってからでした。56才のときパリで初めて開いた個展で若い画家達から猛烈な支持を得ます。

その理由は明確です。セザンヌは、「絵は現実をそのまま再現するものだ」という前提を揺さぶりました。そして、絵画は形や色の関係によって独自の世界をつくることができると示したのです。この発想は、ピカソをはじめとする20世紀の画家たちにとって、出発点となりました。こうして独自の道を切り開いたセザンヌに時代が追いついたのです。

セザンヌは、当時の基準で見れば決して器用な画家ではありませんでした。しかし、その不器用さを無理に隠そうとはせず、むしろそこから出発して、新しい描き方を模索し続けたのです。その姿勢が、絵画そのものを変える力になりました。

セザンヌについてもっと知る

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本体価格 ¥3,200(税別)
B4変型判 64ページ
作品点数 34点

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